2009年12月07日
芸術点
現実世界と違いスポーツの素晴らしい点は両者に平等なルールの基で競われ、その勝敗も公平で明確であること。
なので採点競技はどうしても勝敗に嫌な不透明感が残ります。
例えばボクシングの判定。
人間が採点することですからどうしても絶対的なものにならないですね。
その採点競技の最たるスポーツがフィギュアスケートです。
技術点はまだしも、芸術点なんていう訳の分んないものがありますから。
なので修行僧は最近までフィギュアスケートをスポーツとして認めていませんでした。
芸術って、ダンスコンクールじゃないんだから、と。
ところが真央ちゃんブームが起こりS子さんがファンになり一緒にテレビ観戦をしていて、特に先週開催されたファイナルを見てその考えが変わりました。
浅田選手は技術的には素晴らしいけれど上っ面だけで何か心から感動するものがない。
安藤美姫選手はあえて技術面を抑えて挫折を乗り越えてきた者にしか表現できない強さと美しさを感じる。
観客に感動を与えるのは技術だけではないんだ。
ああ、確かにこういった部分は芸術点でしか採点できないし評価できないだろうなと。
フィギュアスケートと似ている競技に体操があります。
体操競技は採点の公平性を追求するために採点方法を技術面の減点主義に重きを移してきました。
その結果、個性や独創性もなくどれだけ正確にクルクル回れるかを競う競技に成り下がってしまっています。
そしてクルクル回るのが得意な子供達の独壇場の競技になってしまいました。
そういえば、特に女子テニスも最近そんな傾向があるような気がします。
パワーやスピードばかりを競う単調な打ち合いの退屈な試合ばかり。
ならテニスじゃなくて腕相撲や100m走で勝負を決めたらなんて思ったりしてしまいます。
テニスにも観客の心に感動を与えるスポーツを超越した芸術性があるはずです。
エバートのどんな時でも崩れない白鳥が踊るように美しいフォーム。
獲物を追う豹のようにネットにダッシュしていくナブラチロワのボレープレー。
全ての裏をかくヒンギスの変幻自在のショット。
現役で言えばフェデラーが良い例です。
残念ながらナダルの芸術点はフェデラーに比べると低いような気がします(ファンのみなさん、すいません)
テニスにもぜひ芸術点を採用して欲しいです。
セット数は3-2でナダルの勝ちだけど芸術点を加えたトータルポイントでフェデラーの勝ちみたいな(笑)
なので採点競技はどうしても勝敗に嫌な不透明感が残ります。
例えばボクシングの判定。
人間が採点することですからどうしても絶対的なものにならないですね。
その採点競技の最たるスポーツがフィギュアスケートです。
技術点はまだしも、芸術点なんていう訳の分んないものがありますから。
なので修行僧は最近までフィギュアスケートをスポーツとして認めていませんでした。
芸術って、ダンスコンクールじゃないんだから、と。
ところが真央ちゃんブームが起こりS子さんがファンになり一緒にテレビ観戦をしていて、特に先週開催されたファイナルを見てその考えが変わりました。
浅田選手は技術的には素晴らしいけれど上っ面だけで何か心から感動するものがない。
安藤美姫選手はあえて技術面を抑えて挫折を乗り越えてきた者にしか表現できない強さと美しさを感じる。
観客に感動を与えるのは技術だけではないんだ。
ああ、確かにこういった部分は芸術点でしか採点できないし評価できないだろうなと。
フィギュアスケートと似ている競技に体操があります。
体操競技は採点の公平性を追求するために採点方法を技術面の減点主義に重きを移してきました。
その結果、個性や独創性もなくどれだけ正確にクルクル回れるかを競う競技に成り下がってしまっています。
そしてクルクル回るのが得意な子供達の独壇場の競技になってしまいました。
そういえば、特に女子テニスも最近そんな傾向があるような気がします。
パワーやスピードばかりを競う単調な打ち合いの退屈な試合ばかり。
ならテニスじゃなくて腕相撲や100m走で勝負を決めたらなんて思ったりしてしまいます。
テニスにも観客の心に感動を与えるスポーツを超越した芸術性があるはずです。
エバートのどんな時でも崩れない白鳥が踊るように美しいフォーム。
獲物を追う豹のようにネットにダッシュしていくナブラチロワのボレープレー。
全ての裏をかくヒンギスの変幻自在のショット。
現役で言えばフェデラーが良い例です。
残念ながらナダルの芸術点はフェデラーに比べると低いような気がします(ファンのみなさん、すいません)
テニスにもぜひ芸術点を採用して欲しいです。
セット数は3-2でナダルの勝ちだけど芸術点を加えたトータルポイントでフェデラーの勝ちみたいな(笑)