2009年04月02日
津田恒実を忘れない
『津田恒実』
広島カープ投手。
その剛速球を打とうとして原辰徳選手が手首を骨折したのは有名な話。
リリーフに転向し『一球入魂』『弱気は最大の敵』を座右の銘として打者に真っ向から立ち向かう投球スタイルから「炎のストッパー」と呼ばれました。
29歳で脳腫瘍のため引退。
その年、チームメートは彼の回復を祈り一丸となってリーグ優勝。
(以来残念なことにカープにリーグ制覇はありません)
引退後も闘病生活をしながら懸命に現役復帰のトレーニングを続け一時は驚異的な回復をするも1993年没、享年32歳。
広島市民球場の1塁側ブルペンには津田投手を讃えたプレートがあり、広島の投手は登板の前に必ず触れていくそうです。
今年新広島球場がオープンしますが、その津田プレートも移設され彼のスピリットは永遠にカープの選手に引き継がれていくのです。
奇しくもその津田プレートが新球場に移された日、津田投手の出身校である山口県立南陽工業高校が選抜の準決勝をかけた試合を戦いましたが3-5で惜しくもやぶれました。
しかし、最終回に一打逆転の場面を作り強気で攻めていく気持ちは津田投手のスピリットを譲り受けていました。
9回までノーヒットノーランに抑えこまれていたPL学園に勝った試合もそうでした。
よし!
今週土曜日のシングルスの試合は修行僧も『一球入魂』『弱気は最大の敵』の津田スピリットでがんばろうっと!
ちなみに、父親をビデオでしか知らない津田投手の一人息子は、当時カープの指揮を取っていた古葉氏を慕って現在彼が監督を務める東京国際大学野球部に今年編入。
投手だそうです。
涙なくしては語れない物語はまだ続いているのです。
広島カープ投手。
その剛速球を打とうとして原辰徳選手が手首を骨折したのは有名な話。
リリーフに転向し『一球入魂』『弱気は最大の敵』を座右の銘として打者に真っ向から立ち向かう投球スタイルから「炎のストッパー」と呼ばれました。
29歳で脳腫瘍のため引退。
その年、チームメートは彼の回復を祈り一丸となってリーグ優勝。
(以来残念なことにカープにリーグ制覇はありません)
引退後も闘病生活をしながら懸命に現役復帰のトレーニングを続け一時は驚異的な回復をするも1993年没、享年32歳。
広島市民球場の1塁側ブルペンには津田投手を讃えたプレートがあり、広島の投手は登板の前に必ず触れていくそうです。
今年新広島球場がオープンしますが、その津田プレートも移設され彼のスピリットは永遠にカープの選手に引き継がれていくのです。
奇しくもその津田プレートが新球場に移された日、津田投手の出身校である山口県立南陽工業高校が選抜の準決勝をかけた試合を戦いましたが3-5で惜しくもやぶれました。
しかし、最終回に一打逆転の場面を作り強気で攻めていく気持ちは津田投手のスピリットを譲り受けていました。
9回までノーヒットノーランに抑えこまれていたPL学園に勝った試合もそうでした。
よし!
今週土曜日のシングルスの試合は修行僧も『一球入魂』『弱気は最大の敵』の津田スピリットでがんばろうっと!
ちなみに、父親をビデオでしか知らない津田投手の一人息子は、当時カープの指揮を取っていた古葉氏を慕って現在彼が監督を務める東京国際大学野球部に今年編入。
投手だそうです。
涙なくしては語れない物語はまだ続いているのです。